履正社高校の監督である岡田龍生さん。
就任32年目で念願の全国制覇も果たし今話題となっています。
そこで今回は岡田龍生監督の年齢やこれまでの経歴、出身高校などについてまとめていこうと思います。
また、学校では厳しい先生との声もありますのでその辺についても調査していきます。
Contents
岡田龍生監督(履正社)の経歴や年齢、出身高校は?
第1試合 #履正社 #岡田監督 試合後談話
「子供たちが伸び伸びとバットを振っくれている。甲子園というのは選手を成長させてくれるところだなと実感している。選手たちは(夏ベストエイトという)履正社の新たな歴史を作ってくれた」#甲子園 #高校野球
試合詳細はhttps://t.co/o9kOaJLDfE pic.twitter.com/pdmhDZIwGa— NHK甲子園 (@nhk_koushien) August 17, 2019
名前:岡田龍生(おかだたつお)
生年月日:1961年5月18日
出身地:大阪府
出身高校:東洋大姫路高校
出身大学:日本体育大学
社会人:鷺宮製作所
担当教科:保健体育
岡田龍生監督の年齢は現在58歳です。(2019年8月24日時点)
岡田龍生監督は子供の頃、元プロ野球選手である母親とよくキャッチボールする野球少年だったようです。
当然野球一筋でやってきたのだろうと思っていましたが、意外にも中学校時代は野球部とバレーボール部を掛け持ちしていました。
バレーボール部ではキャプテンを務めるほどでしたが、身長が低かったこともあり高校ではバレーボールを断念します。
その後、「甲子園に近いから」という理由で東洋大姫路高校へと進学し野球を本格的に始めたそうです。
当時、岡田龍生監督の身長が高ければそのままバレーボールの道へ進んで今の履正社高校はなかったかもしれません。
こう考えると人生何が起こるかわかりませんね。
東洋大姫路高校では主将を務め、三塁手として1979年のセンバツ甲子園にてベスト4に入るなど素晴らしい成績を残しています。
東洋大姫路高校卒業後は日本体育大学へと進学。
その後、鷺宮製作所に就職し、そこの社会人野球チームでプレーした後、1985年に大阪市立桜宮高等学校の野球部コーチを経て1987年に履正社高校の監督へと就任します。
現在、学校では保健体育の教師をしているみたいです。
岡田龍生監督自身もやはり高校野球で甲子園を経験しているんですね。
しかもベスト4ですから素晴らしい成績です。
今回の夏の甲子園優勝は自分が高校時代には成し得ませんでしたが、監督としてその夢を叶えれらた結果となりましたね。
本当におめでとうございます。
岡田龍生監督(履正社)は学校では生徒に厳しい先生!?
岡田龍生監督は監督としても厳しいイメージですが、学校でもその厳しさはあるみたいです。
履正社高校出身と思われる人がネット上で、
岡田先生にずっと生活態度 怒鳴られ続けてたなぁwwww#履正社#岡田監督 pic.twitter.com/EIglkwgznj
— きょう すけ (@kyoske_USJ) August 22, 2019
履正社という学校は校則が無駄に無意味に厳しくて、ぼくは通学路の途中の歩行者用信号が点滅し始めて1.5秒後に渡り始めたら信号無視で捕まえられ長々と反省文を書かされたのですが、そのときの先生があのガラガラ声の岡田監督です😇💢
優勝おめでとうございます(棒読み) pic.twitter.com/eRuskFH4qp— ひごほ (@R_esculenta) August 22, 2019
などの声をあげていました。
履正社高校自体、もともと校則が厳しいようですね。
岡田龍生監督からすれば、野球部員以外の生徒たちもみんな自分の教え子ですし、教師としてしっかり指導しているということでしょう。
強豪校の監督はみんな学校でも厳しいイメージはありますね。
岡田龍生監督(履正社)が謹慎処分となった内容は?
岡田龍生監督は2002年に「行き過ぎた指導」ということで謹慎処分を受けています。
「行き過ぎた指導」とはどのようなものだったのか調べてみましたが、詳しい情報は得られませんでした。
昔は根性論の野球指導が盛んでしたから、それを実際に野球部員として経験していた岡田龍生監督も同じような指導になったのではないかと思います。
岡田龍生監督(履正社)の野球指導方針は?
謹慎処分前は、「このチームで勝つためには」ということを常に考え、選手に対して徹底したスパルタ指導を行なっていました。
しかし、岡田龍生監督は2002年の謹慎処分後、指導方針を方向転換します。
「やらされる野球ではなく、自ら考えて動く野球」という考えの下、選手達がグラウンドの中でも外でも自分で動けるように徹底したそうです。
2002年、「行き過ぎた指導」により謹慎処分を受け、岡田は方向転換を決断した。
「謹慎になって『これは違う方法を考えなあかん』と。そこから選手たちがグラウンド内でもグラウンド外でも自分で考えて動けるように、今度はそこを”徹底”するようになりました」
たとえば、履正社の練習は普段から走者をつけて行なうケース練習が非常に多い。なかでも一、三塁のケース練習に最も多く時間を割くのだが、これは攻守ともに考えるパターンが多く、予測、状況判断の力が必要になってくるからだ。また、紅白戦では打者自身がサインを出すのだが、これも頭を鍛えるために行なう。走攻守に頭脳を加えた”4拍子”のバランスのよさが履正社の最大の特長で、ここ15年で岡田が最も強調していた部分だ。
こうして指導方針が転換されていくなか、2006年春に2度目の甲子園出場を果たすと、そこから10年間でじつに7度の甲子園を実現。いまや大阪桐蔭と”大阪2強”を形成するまでになった。
引用:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2016/12/27/_split_30/index_2.php
この結果、履正社高校はどんどん力をつけていき、2019年の夏の甲子園で優勝を果たすまでになったということです。
今回の甲子園優勝は2002年の岡田龍生監督の指導方針の方向転換が大きな分岐点となったんですね。
岡田龍生監督(履正社)の年収は?
岡田龍生監督の気になる年収ですが公表はされていません。
ただ、厚生労働省の2017年の調査によれば高校教師の平均年収は40代で670万円ということです。
岡田龍生監督は現在58歳(2019年8月24日時点)ですし、もう少し高いのではないかと思います。
履正社・岡田監督の経歴や出身高校は?学校では生徒に厳しい!?まとめ
いかがでしょうか?
今回は岡田龍生監督の年齢やこれまでの経歴、出身高校などについてや、学校では厳しい先生との声についてまとめてきました。
これまでにいろいろな苦労を重ねてきた結果、今回の甲子園優勝という素晴らしい成績を残せたというわけですね。